>>332 私服で民間人を装いながら、いきなり奇襲攻撃するのを繰り返したわけだ
上海戦で勝ってからの日本軍に対するゲリラ戦はそれほど報告されてません。
上海市内で、反日感情から学生などによる奇襲攻撃がわずかにあるくらいだ。
南京までの進撃路では、中国防衛戦も機能せずに次々と破られ、中国敗残兵
を追って一方的な日本軍の勝利になってます。
しかも補給体制が、上海戦だけを考えて作られてましたので武器・弾薬だけの輸送
になり食料は現地で徴発したため、進撃路の農民は食料を根こそぎ略奪され、とく
に共産主義者が多いと判断された地域の人は、全部殺されてました。
10万人の軍隊が食料もなしに、バッタの大群のように荒らしまわったわけだ。
食料がないから捕虜を捕まえても、殺さざるを得ない。
この進撃で、兵士の軍規も低下し、凶暴化して南京での大虐殺につながったわけ。
敵の首都である南京を占領はできたけど、松井石根司令官の軍中央を無視した、
手柄欲しさの作戦ミスといえる。
南京までの進撃が既成事実として成功したので、軍中央も松井に引きづられたもの。
あなたの論理は抵抗さえしない「一般人を殺害するための屁理屈」に過ぎない。
当時・日中事変での日本軍は、国際法を守る教育さえ兵士にやってません。
日露戦争の時には、まじめにやっていたんだが・・・
ーーーー引用開始ーーーー
軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画では到底経理
部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰えらして貰う」
といきりたった程で、参謀長田辺盛武少将の口添えでその場はおさまったが、この
作戦とこれに伴う補給とは、なかく調和の困難なものであった。
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html