>>146 当時の百済移民は自分から進んで「日本人」になっていったんだよ
その当時は国籍法なんてなかったと思うが・・・・
ただの日本という国の中に住んでいた民、国民になったというだけの話だろう。
むしろ百済再興のための、軍資金を集め同志を集め朝廷に百済侵攻を働きかけ
ていた百済人が、日本国内でも多かったんじゃないかね。
だからこそ百済侵攻に反対する勢力から、宮崎県の百済王は暗殺されたんだよ。
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しかし、まもなく、追っ手がかかり、禎嘉王は現在の東郷町の伊佐賀で防ぐが、
矢を受けて戦死する。
いま、南郷村の神門神社には禎嘉王を祀り、木城町の比木神社には福智王
を祀る。なお、小丸川河口の高鍋町の鴫野にある大年神社は、禎嘉王の妻に
して福智王の母なる之伎野(しぎの)を祀ると云う。
(九州日向の百済王伝説 より)
>> 百済滅亡から100年以上は経過してんだよ!
在日韓国人は、日本国籍を剥奪されてもう60年近くになるはずだが・・・
それでも皇位継承者と婚約をするほどの、名誉ある地位には在日韓国人は
居られないのじゃないかね。
俺にはどう考えても、当時の百済人は天皇家が恐れ入るほどの歴史、天皇家
との血縁関係、科学技術力を持ってお金持ちが多数、日本国内に存在して
いたとしか思えない。
それだから天皇の生母にまで、亡命した百済人がなれたんだよ。
宮崎県には多数の古墳も存在してるし、串間市には中国の皇帝から国王に
だけ送られたという穀璧が出土してます。
鏡と違い、これはお金で買えるようなものじゃない。
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周〜漢にかけて皇帝が諸侯に与えた「穀璧」という玉器が江戸時代に完全品
で発見され国宝となっています。直径33.3cmです。
鏡は富裕者なら入手できるでしょう。しかし硬玉製の穀璧は次元が違います。
まさに国宝です。
(穀璧と支石墓 より)