運営に愚痴を書いたら


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■運営に愚痴を書いたら

現在表示しているスレッドのdatの大きさは20KBです。

1 名前: no name :2007/10/18(木) 00:32:05 ID:AM58oqvn

運営を擁護するコメントが見られるのですが、それって全部運営の書き込みってとっていいんですかね?

2 名前: no name :2007/10/18(木) 00:33:52 ID:6puoc9Cq

ただの狂信者でしょ
気持ち悪いよねアレ

3 名前: 運営 :2007/10/18(木) 00:35:20 ID:+0bEDrLc

アンチも相当キモいがな

4 名前: no name :2007/10/18(木) 00:35:45 ID:ineZYcdO

運営に対するツンデレがいるとかいない
いないよな?

5 名前: 投稿日:2007/10/18(木) 00:35:45 ID:ineZYcdO :2009/05/09(土) 03:57:15 ID:mR+Uu158

投稿日:2007/10/18(木) 00:35:45 ID:ineZYcdO

6 名前: no name :2009/05/09(土) 15:25:45 ID:8Nib4upi

運営は今必死だからなwww
 
1ユーザーを装って書き込みすることも
なんとも思わない

7 名前: no name :2011/06/05(日) 16:53:40 ID:KEJT5kNX

今まで基礎的な事柄に寄り過ぎたが応用的な側面も見ていこう
まず認識は論理集合における要素X(a)で示される、名前を連想からP(X(a)A(φ))が「認識が保持された」事実を示す。
我々が見ている風景は連続概念という単なる「存在」であり、「存在の差異」は言語によって示される。
つまり要素は名前をつけなければ区別できないため、
先ほどの媒介表象Pにより連想系を作り表象で「表現」することP(U(a),sgn(φ))は
新たな集合を作り区別をつけることに相当する。次回からの認識はP(U(a),sgn(φ))→sgn(a)と略記される。
「赤信号を止まれ」と解釈するまでの命令順序はRED(赤い)として存在集合U(RED)から連想U∩EL≠φを満たす
任意の要素集合EL(RED,STOP)によってSTOP(止まれ)という要素が取り出されルーチンP(U,EL)が完成する。
これが非推論・連想による「直接命令系」である。なぜ止まらなければならないのかという倫理観念は「推論」によって作られる。
連想系ができるのは表現・記憶・判断である。

8 名前: no name :2011/06/06(月) 13:25:49 ID:g3qBqEsQ

今回は基礎に立ち返り形而上学用語の定義を見直す。
初めに一次集合U(a)がある。¬a=φによりEx(φ)が認識されU(U'(a),Ex(φ))によって非表象U'(=U)が
Uを媒介表象として表現されモデル化されX(φ)となり、二次集合U(A(a),X(φ))となる。
表現とは存在集合Ex(b)に名前をつけることである。Ex(b)は認識形式でありExは表象ではない。
この時点ではa=bであり、仮想的bを存在aから分離することが認識と定義される。つまり認識以前に表現しなければならない。
二次集合にU(A(a),X(φ),Ex(b))と加えられ、Ex(b)からUを媒介してX(φ)が表現される。
これが意味するのは地と空の同時認識によってシルエットが立ち現れ形状が認識されるということである。
現れた形状はモデル化されEx(b)→B(b)となる。
まとめると、U(a)は¬a=φなのでU(a,Ex(φ))と認識され、a=U(a)なのでU=U'とするとU(U'(a),Ex(φ))として
Ex(φ)からUを媒介してU'が表現(別の表象を連想すること:「P(Ex(x),sgn(φ))」)されるため
モデル化(表現されることで自表象を得る「Ex(x)=X(x)」)し、X(φ)、同時にA(a)となる。
認識とはφが分離するときと同じくaと分離したときであり、「¬a=Ex(x)」のとき認識される。
表現によりEx(b)はUを媒介しXという表象により表現されるので自表象Bが得られる。これは形状認識の原理である。

9 名前: no name :2011/06/10(金) 04:41:50 ID:rCZXnAE/

人間の錯覚という現象は表象でもって表される。錯覚とは認識される要素が入るべき表象への混入が原因となる。
それは表象界と要素界のズレから生じるものである。表象は矛盾を許容するいわば固定観念である。
ではなぜ表象界は追放されないかといえば、物質界を認識するためのいわば歪んだ鏡のようなものだからだ。
二次集合U(phy(Φ),sgn(φ))としてA(a,b)であるべき表象と要素があるとすると、Ex(a)から想起可能なB(a,c)があるとき
B(a,b)となりうる。これを固定観念Bと要素(a,b)のズレとして「錯覚」と定義とする。
つまり主観的にはB(a,c)と見えているが、客観的にはA(a,b)という矛盾を持つ。
表象は矛盾を許容するため主客を区別せずB(a,b)(次回から/B(a,b))という矛盾許容型論理表記が可能である。
Ex(a)∈phy(Φ)∪sgn(φ)より要素の表現となり、既存のEx(a)→A(a,b)∨B(a,c)への想起が可能となる。
表象が誤ったものであれば/B(a,b)と錯覚される。A(a),B(b)など単射で表される単純表象と区別して
錯覚が生じうる要素の組み合わせによる表象を複合表象とする。状況全体の把握などは最も錯覚が生じやすいことが分かる。

10 名前: no name :2011/06/10(金) 06:05:56 ID:rCZXnAE/

定義を見直す、事例のみを提示する事項もある。厳密な定義は行わない。
基本能力:認識、想起、連想、推論の四つ。
基本事項:「⇒」はここでの形而上学を根拠としていることを示す。
Ex(a):要素aのみを示す仮想表象、または存在集合
要素集合:Ex(a)はEx(a1,a2,a3…)という集合をもつ、Ex(a)の要素はEx(ai)と表記する。
二次集合:表象と要素を作り出す源集合U(phy(Φ),sgn(φ))とする。
形状認識:被認識要素の下位集合はΦとφの二数で表される。Φ=1,φ=0としEx(1,0,1,1)となどと表記することもある。
表現:要素を認識するためのメソッド。Ex(ai)=Ex(0)のときU⊃A(a)となり、認識された事実を示す。
表象化:認識が想起されたとき要素は表象化する。
例えばA(a)=A(1,0,1,1,1,0)のときB(1,0,1)とC(1,1,0)ならばA(B,C)となる。
錯覚:要素が違った表象を持つ現象。/B(a,b)などで表され主客を区別しない立場から矛盾していることを指す。
表象発生:認識(表現)と想起により可能。Ex(a)⇒A(a)は表現によるもの、A(a)⇒A(B,C)は想起によるもの。
交換:要素は四原因説よりF(x)=yの関係を持つ。離散的世界と静的な表象、動的な要素を仮定している。

11 名前: no name :2011/06/11(土) 02:00:21 ID:FTwWJJIN

やや行き詰まりを感じ始めたので、私自身の理解度に合わせて概論的な情報整理が続く。
表象と要素の関係というが、この要素も固定観念(表象)である。純粋な要素は1と0の組み合わせからなる形状である。
無論、視覚的な形状認識だけでなく五感(色、触り心地、耳あたりなど)による認識も含まれ、
各器官の初期状態が1であったとき0を含む存在集合があるときそれぞれの認識の”形”となるということで「形状認識」となる。
認識された存在集合Ex(a)→A(a)となり、表象が発生し、表象間のやり取りが可能となることで
二次集合から離れこのとき初めて「想起可能」となる。
想起による認識補完ではなく、認識自体を厳密なものにしたいならば二次集合との関係を追っていけばいい。
そして表象間でやりとりされる認識の再構築が想起と呼べる。錯覚が生じるのも想起の”せい”であるが
想起がなくては認識を補完されないため、状況の把握や情報整理が難しくなるだろう。
だが想起による認識補完は精神的な操作となるためモデル(理想概念)に依存しがちである。
想起はA(a)→B(a,b)∨C(a,c)∨D(a,d)…のような形をとる。また要素の表象化よりA(a1),B(a1=b)→A(B(a1=b))とする。
認識を補完するのが想起の主な役割であるから形状認識から得た情報を元に世界の欠損のないようにする働きがある。
我々が見ている世界は本当の認識によるものと想起によるものに分かれ、
触れられない位置の見たものから質感を感じ取るのは想起の働きである。
認識したものがA(a)でありこの情報を元にD(a,d)というより客観的な情報に復元し、
dが触覚による形状認識ならば触覚を印象として想起できることになる。
アートで比較するならば認識を優先する写実派と想起を優先する印象派に分かれるだろう。
強引に分類するならば、ありのままのアメリカ・アートは前者、錯覚をも利用するフランス・アートは後者の傾向が強いだろう。

12 名前: no name :2011/06/11(土) 03:56:31 ID:FTwWJJIN

交換はF:A(a)→B(b)という写像である。交換の特徴は認識でも想起でもなく「=」を使わずに直接要素間を関係付けることである。
想起:A(a)→B(a,b)∨C(a,c)…も同じことであり左側の表象と要素を質料因、「:」をはさんだ向こうを作用因、
矢印の右側を目的因、この全体の一般化したもの(定義)が形相因である。
まずA(a)は認識補完(想起)よりD(a,d)となり、F:D(a,d)→E(e)という法則が知られていたとき交換できることになる。
このときの順序は、
認識:Ex(a)→A(a),想起:A(a)→D(a,d),事実F:D(a,d)→E(e)
によってaからeへの交換がなされる。
このとき表象は精神機能を行使するための固定観念であり、要素はその実態であり、実際の空間の動きは動的な要素のみとなる。
目的をE(e)としたとき、
連想(E∩F'={Φ}):E(e)→F'(事実F:,D(a,d),→,E(e)),連想(D(a,d)∩A(a)={a}):D→A,連想(A(a)∩Ex(a)={Φ})A→Ex
となる。つまり認識されたものと目的の形相から交換の矢印が繋がれれば為すべきことが分かる。
連想能力は固定観念が作り出す思い込みが一定の水準で類似性を持つことであり、矢印が有機的に繋がることを示す。
もう一つ推論によるアプローチも存在する。
F:E(e)→D,F:D→A,F:A→ExならばF(F(F(Ex(a))))=E(e)であり、現象を法則により分類していた場合、
Ex(a)を認識した時点で矢印が繋がり、連想の手間が省ける。
ある表象の要素を展開し冷静に「交換できる事柄は何か」ということを推論していくことで、
自己という表象に内在する要素からの交換可能性、自己の取り巻く環境という表象の要素からの交換可能性、
あらゆる要素の交換可能性から正確な判断をもって目的への到達ルートを確保できる。

13 名前: no name :2011/06/13(月) 14:52:20 ID:EvjfCRlP

帰納・演繹の形而上学的定義を考える。
一般的認識だと前提から各々の事象を導くのが演繹であり、各々の事象から法則を導くのが帰納とされる。
形而上学的には事象は要素、法則は関係、帰納・演繹は交換の一種という言葉に対応する。
世界は離散的な世界であり、四原因説が適応できるならどのような要素にしても質料因と作用因、目的因があるはずだ
F:A(a)→C(c),F:C(c)→B(b)ならばF(F(a))=B(b)でありF'(a)=B(b)という法則はより細かな法則に取って代わる。
人間の記憶容量は恐らく有限であるため、不要と思った情報は廃棄するはずである。
つまりF'(a)=B(b)という記憶は忘れ去られる。それは、それまでその記憶が必要とされていたということだ。
何がいいたいかといえば法則化しようとも記憶容量0では推論もできない。
法則自体の認識(経験則)が必要だからだ。これは公準の要請だ。では公準はどこから出てくるのか。
私は人間に”帰納する”という能力は存在しないと考えている。推論とは演繹のことであり、公準とは単なる定義なのではないか。
我々は自然と生存に有利な方向に行動を求め、その結果、前述のように演繹によって研鑽され必要な記憶要領を減らしていく
だが、それができるのも人間が思考するからであり、人間という肉体や原始的本能があるという前提が公準である。
公準はすでにできているならば帰納は不要である。強いて言うならば始動因が究極の前提であり、
物質・生命全ては演繹する能力しか持たないというアリストテレス的世界観に基づき考えられる。
哲学はこの固定観念(形而上学)を打ち破れるのだろうか、
私は人間文学が人間性を勝ち取るために総力を持って公準を覆し新たな前提を人間自身の手で作り上げることを期待する。

14 名前: no name :2011/06/13(月) 20:49:39 ID:EvjfCRlP

文学への才能とは特定の言葉からどれだけの感情を連想できるかということが基礎となるだろう。
この前提が真ならば、以下のように定義できる。感情は公準であり言語は公準に対する定義、論理は公理に該当する。
この時点で論理部と論理外部に分かれる。論理部の処理は論理外部に引き渡され感情を写像する言語定義を行う。
いわゆる心理学用語の幼児の感情分化モデルというものを採用し、感情の切断を論理的作用によるものとする。
論理外部の処理は神学的であり、いかなる論理的矛盾にも耐えうる不動の信念とする体系でなければならない。
すなわち純粋形而上概念が存在する領域である。

15 名前: no name :2011/06/15(水) 20:35:35 ID:5r0RcsFM

単語とは表象である。エジソンの足し算の例にしても、言語自体には箱としての機能しかない。
関数はf(x)とすることが多いがこれはxという名前のついた箱(数式)と考えられる。
さらに同じことが変数にもいえる。これを「言語形式」とする。
「AはBである。」この命題は「である」は単なる語調として省略し、「は」:A→BなのでA=Bを示す。
文型をわかりやすくするため次回からは英語で考える。

16 名前: no name :2011/06/16(木) 20:13:20 ID:Urc3rA5o

交換の形式と推論能力について考察する。
私の直観では推論能力とは単純化した知識量に依存すると考えている。
要素が小さいほど想起回数が増えるのは推論の写像関係式の加算系に限定するなら再帰的定義式の一例f(x+1)=f(x)+1から明らかである。
知識とは本来、離散的なものでありこれを整合的に結合することが推論能力、すなわち関係付けの力である。
加算系に限定してあるので、ある状態の形而上要素が
x-yの空間座標で知識の空間的表現(離散数表現の一系統)による差別化が可能である。
ある命題(質料因Hy)が0点から正の方向へHy=x1y1の規格を持つことにおいて目的因Te=x1y1+x2y2+x3y3の場合
F:Hy→Teへの写像をすることが推論能力による論理的帰結となる。
知識の空間的表現においては、要はterosを組み立てればよいのだから、
形而上要素をf(x,y)とすると無限小に小さくした要素ΔSiの総和でlim[N→∞]Σ[i,N]f(xi,yi)ΔSi=∬f(x,y)dxdyで
teleologieの推論モデルとして一般化される。即ち、単純化した一次要素と二次要素の関係から演繹(推論)すれば
全ての結論を導くことができることを示す。
では単純化はどうするのか。これは大きい要素から小さい要素を抽出する帰納の問題だろう。
次回は空間表現における帰納と連想能力を考察する。

17 名前: no name :2011/06/17(金) 02:54:13 ID:TQGpw3O9

帰納について論ずる。
A(1010)という表象はB(1000)とC(0010)によるΩ(A,B,C)のとき、
A=B+CとすることでΩ(B,C,B+C)として圧縮ができる
これが帰納であり、連想能力によって行われる。
連想の定義はA∩B={Φ}であるが、A=(A∩B→B)+(A∩C→C)=B+Cとすることもできる。
帰納は必ず連想能力とビット演算により帰納の式となりうる。
ところで形而上学的定義における推論(演繹)により帰納することは可能だろうか
A=B+CならC:B→Aより推論が成り立つが、法則の導出ではあるもののあくまで帰納ではない。
A,B,Cが法則的な関係があるという発想自体は連想から見つけられる。
そしてAより小さい要素B,Cがあると分かれば、推論モデルから演繹で法則を求められる。
もしくは、ごく小さな要素から大きな要素を推論し中間要素を見出すことも法則を導出したといえよう。
前者はなぞなぞ的な発想であり、後者はパズル的な発想といえる。

18 名前: no name :2011/06/17(金) 03:32:45 ID:TQGpw3O9

連続概念{Φ}から特徴{φ}を見出すことで我々は感性を得られる。
見た目(色や形)のことしか分かっていないならそれはほぼ赤ん坊と同程度のセンスであり、何の感動もない。
そこから見出される種差の多さを見出してこそ感受性豊かな状態である。
次回は見るものの感受性を意識的に高める方法を形而上学的に考える。

19 名前: no name :2011/06/17(金) 04:03:12 ID:hzsZj4Sa

これからの方針としては美学的議論、論理学的議論・交換理論と
言語哲学、形而上学基礎理論、応用的形而上学が主なテーマになるだろう。
その内、交換理論を駆使した応用的形而上学と基礎理論の表現の修正・統一が急務だ。

20 名前: no name :2011/06/17(金) 18:49:24 ID:TQGpw3O9

精神という目に見えないものを扱う学なので、
統計的な資料を集め現実的な理論かということを加味しなくてはならない。
形而上学の議論のスタンスはモデル構築と統計による反省である。
形而上モデルが調査方法を指定し、任意の人間行動に対して統計学的に有効であることを示さなければならない。
主に前提が誤りであるか、結論が誤りであるかの調査になる。とはいえ人間行動は思想に大きく左右されるので統計学も信用しきれるものではないだろう。
例えば、営利活動においても完全に利己的な人間はそれほどいない。必ず、
人間関係、社会、文化的要因による思想が絡んでくるのだ。
思想は必ず宗教的理由や民族的習慣などの歴史事実に基づくため理論そのものが通用しない。
思想については仮に思想全ての理性的かつ真実に基づく記述があったにしても解釈も難しく、史学的検証も信用は難しい。
あくまで形而上学は倫理には介入できないという問題があり、
現実的な予測を可能とする地位を得るということにはあまり期待はできない。史学・統計学・形而上学の連携が必須である。

21 名前: no name :2011/06/17(金) 19:57:45 ID:TQGpw3O9

人間の精神をコンピュータ・アルゴリズムとして解釈していくことが基礎理論の方針となる。
現時点での表現形式は、演繹系(推論・交換)→幾何モデル、帰納系(認識・想起・連想)→集合ビットモデルである。
特に帰納の式のようなビットモデルを基本として集合、幾何モデルを統一していくことになるだろう。

22 名前: no name :2011/06/18(土) 05:47:45 ID:vQ0D1fvQ

交換理論において「語彙」は重要だ。
知識は無理やり覚えたものだとしても必要な場面で言語が連想できるというだけで行動を変える。
我々が風景を認識する場合、初めは二次集合として形状認識する色や形、
触覚など五感による認識が可能だがこのままでは形状の意味を理解できない。
なぜなら「地面から木が生えている」ものでもそれは「地面と連続している形状」と認識されているからである。
形状(地面+木)という集合から形状の特殊性に気付き、地面と木を区別しなければならない。
これは帰納の式によって法則を見出すことで可能となる。地面(1000),木(0101),形状(1101)とすると
帰納より形状が地面と木に区別できることが分かり、
形状(1101)=(形状∩木→木)+(形状∩地面→地面)=木(0101)+地面(1000)となる。
当然、木と地面という抽象的なイメージをすでに保持していることが条件であり、
かつ連想した要素から交換(演繹)することで関係付けることが条件である。演繹はF:木(Hy(0101)→Te(1000))の法則があるとすると
F:木→地面よりF(形状)=木+地面ということが分かる。
以前これを帰納の式と名づけたが、帰納・演繹の式とする。
二次集合が既に最小の要素なので幾何モデルから演繹だけでも法則を見出すことができることになる。
大体イメージは固まってきたが、厳密な定義や証明などは次回以降とする。

23 名前: no name :2011/06/18(土) 23:58:57 ID:vQ0D1fvQ

連想はビット演算における論理積”A・B”であるためこれに統一する。
すなわちA=(A・B)+(A・C)=B+Cが帰納・演繹の式である。
ビット演算の場合、集合論理における論理積と意味が異なるがこの式に適応できることは確認済みである。
演繹の式はF:B(Hy)→C(Te)であり、B∪C∪…=ΣI,ΣI⊃Aという帰納を条件として答えを導くのに十分な要素から推論する。
演繹の場合は試行錯誤するというよりも既に写像関係が構築され体系化したとき推論能力(想起回数)に反映される。
そして、もう一度認識論に立ち返る必要があろう。さらに交換理論を完成させなければならない。

24 名前: no name :2011/06/19(日) 01:23:02 ID:89d7buLR

帰納の式は連想(A∩B→B)と想起(A(a)→B(a,b)∪C(a,c)∪…)の式を合わせた
A→(A∩B→B)∪(A∩C→C)∪(A∩D→D)∪…=ΣIであり、演繹する条件がΣI⊃Aである。
認識の式はEx(a)∋¬{Φ}→A(a)であるがsgn(00),phy(11),Ex(01)として帰納と演繹の式から
Ex(01)=(Ex・sgn)+(Ex・phy)→sgn(00)+Ex(01)より
Ex=sgn+Ex→A(a)となる。
ちょうどsgnとExがA(a)という表象と要素に変化したような式である。これを形状認識の式とする。
Ex(0101),sgn(0000),phy(1111)としても
Ex(0101)=(Ex・sgn)+(Ex・phy)=sgn+Ex,sgn+Ex∋¬phy→B(Ex(0101))=B(0101)で成り立つことが分かる。
これで知識を持たない人間が五感の刺激を元に表象を認識できることが確かめられた。

25 名前: no name :2011/06/19(日) 01:52:21 ID:89d7buLR

形状認識の式で何が言いたいかというと「無」という理想概念を仮定しなければ認識が成り立たないということである。
コンピュータで言うon/off、生と死、哲学と袂を分かつアリストテレスの世界像として
二千年数百年の議論を重ね使い古された形而上学、いやもはや先史時代を除く人類と共に歩んできた
といっても過言ではない浸透しきっている思想であるが、今になって新たな思想を生み出す素となりそうだ。
モダニズム並びポストモダニズムはアリストテレス思想の引力から離れようとした思想であるが
形而上学を超越することはできるのだろうか。これからは視野を広げ近代・現代思想も含めた追求も行いたい。

26 名前: no name :2011/06/27(月) 16:47:46 ID:1VD0VidE

世界は要素と要素同士の関係からなる。モデルとしては潜在的な要素の集合が初めからあり、
有限個の要素同士が関係に従って作用してある形になる。二次集合では「無」を要素の一つとして認めているため
「有」との関係性から二数要素による無限の組み合わせを作ることができる。
この根源的な「有」は今のところ始動因としている。しかし、始動因が法則に従って作用するということは
法則を作り出す原因がさらに別にあることを意味する。神学的なことはともかく、
潜在的な要素集合とはその組み合わせのみでできた理想(イデア)上の無意味な集合である。
これを表象と呼んでいいのかもしれない。イデアは我々の思考の中にしか存在せず、イデアは普遍性を持つと仮定する。
イデアは無意味だからこそ実在の拠り代となる。正確には差別化されているという意味を持つ。
x-yの平面座標で考えるとxを0の個数、yを1の個数として10進数表示し表象を
点の一定のイデアという解の集合としての方程式とする。この場合の点を要素イデアとし、線分や面積を表象イデアとする。
物理的イメージで言えば、「時計」が表象イデアであり、「時計」の質量が要素イデアである。
これらの違いは質量と聞けば誰でも一意の値を返すのに対し、時計と聞けば人によって違う値を返すということである。
人によって違うということを統計的な範囲として捕らえられる。これを言語の性質とする。

27 名前: 手話通訳士(東日本) :2012/03/26(月) 00:02:29 ID:/D3cepIy

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28 名前: no name :2013/07/20(土) 19:25:35 ID:Ejpbtm+O

あげ

29 名前: no name :2013/09/24(火) 15:40:12 ID:Z7g4Rkfi

30 名前: no name :2013/09/24(火) 16:05:00 ID:D+M6HFXI

原宿が12月3日で終了とかマジなん?
Q使いにくいのでずっと原宿にしてんだけど

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